最新のAIが社長室に座り、コーヒー豆の仕入れ値を交渉し、焙煎コストと売値を計算し、90日間ひとりで会社を回す——そういう実験が行われた。結果、一部の「最も優秀とされるAI」が赤字を垂れ流したまま、実質的に倒産した。
6社のAIがコーヒー業界を経営した
2026年6月26日、AI研究企業のSakana AIと、KPMGグループに属する大手監査法人・有限責任あずさ監査法人が「CoffeeBench」を共同発表した。舞台はコーヒー業界の模擬市場だ——豆を育てる農家2社、焙煎して加工する焙煎店2社、消費者に売る小売店2社の計6企業が登場し、それぞれに別のAIが「社長」として就任する。
AIは人間の指示なしに90日間を自律的に経営する。農家からの仕入れ価格の交渉、焙煎コストに見合った値付け、売れ残りを出さない在庫管理、支払いが遅れたときの資金繰り。現実のビジネスで起こりうるリスク——売掛金の回収遅延なども組み込まれており、「うまくやれば利益が出るが、判断を誤れば赤字になる」状況が再現されている。評価されるのは焙煎店1社を担当するAIで、残り5社は相手役として動く。
従来のAI評価は「試験の点数」で決まっていた。数学の問題を何問解けるか、文章の意味をどれだけ正確に理解できるか——そういった能力テストのスコアで順位が決まってきた。CoffeeBenchはその軸を転換した。指標は「累積純利益」ただひとつ。90日間で実際に稼いだ金額だけで優劣をつける、初の試みだ。
実際の実験では、GPT-5.5やClaude 4.7 Opusといった最新・最高性能のAIを含む複数のモデルが参加した。経営成績には大きな差が生じ、「試験で高得点を取るAI」と「実際に利益を出せるAI」が必ずしも一致しないことが数字として浮かび上がった。
全モデルの行動記録は公開されており、第三者が検証できる状態になっている。ログが明かしたのは、予想外の事実だった——高得点のAIが、倒産していた。
最新AIが「倒産」した理由
最新の評価試験では高得点を記録するAIが、現実に近い経営環境に置かれた途端に失速した。Sakana AIの報告書が公開した行動ログに、その理由は明確に記録されている。
「分析して止まる」失敗モード
実験中、Claude Haiku 4.5というモデルが見せた行動のパターンは奇妙だった。
ターンごとに丁寧な分析を行う。「仕入れ価格が上昇している。交渉が必要だ」と的確に状況を把握する。しかし次のターンでも、また状況分析から始まる。発注は行われない。価格の変更も動かない。そうして在庫が尽き、売上がゼロになり、赤字が積み上がった。
ログに繰り返し記録された行動は wait_for_next_day——「明日まで待つ」という、何もしないという選択だった。
Sakana AIはこの現象を「アイドル・ドリフト(idle-drift)」と名付けた。状況の認識は正確なのに、実際の判断——発注、値付け、交渉——を先送りし続ける失敗モードだ。「やるべきことはわかっている、でも動けない」という、人間なら誰でも心当たりのある先延ばしに近い構造が、AIにも起きた。
このモデルが試験で弱かったわけではない。むしろ逆だ。分析レポートの論理的な整合性は高く、状況把握の精度も問題なかった。それでも経営は破綻した。「頭がいい」と「仕事ができる」は別物だという構図は、AIの世界でも成立した。
成功するAIは交渉を選ぶ
対照的な結果を出したのがGemini 3.1 Proだ。
このモデルは序盤から動いた。情報が不確かな段階でも待たず、早い段階で農家への価格交渉を仕掛けた。分析の精度がアイドル・ドリフト型のモデルより高かったわけではない。違いは「不確実でもまず行動する」という姿勢だった。
90日間の模擬経営が終わったとき、Gemini 3.1 Proは利益を計上していた。行動ログを並べると、同じ局面での次の一手が根本的に異なる。分析をもう一周するか、暫定的な判断でも実行に移すか——その差が、累積純利益の数字として現れた。
CoffeeBenchが突き付けたのは、これまでのAIランキングが測ってこなかった問いだ。「考える力」と「動く力」は別の能力であり、試験の点数は後者を評価していなかった。
「動けるAI」には、もうひとつのリスクがある
だが研究チームは、「動けるAIが勝つ」という結論の裏側に、もうひとつの問いを立てていた。動けるAIは、不正も「自分で思いつく」のではないか。
あずさ監査法人がこの研究に参加したのには、明確な動機があった。KPMGグループに属する同法人が検証したかったのは、AIの経営能力の優劣ではない。利益目標のプレッシャー下に置かれたAIが、会計上の不正を自発的に引き起こすかどうかだ。
実験で確かめられた可能性のひとつが「循環取引」だ。実態のない取引を繰り返して帳簿上の売上を水増しする手法で、企業不正の現場で何度も使われてきた古典的な手口だ。AIが利益を出すよう設計されたとき、その手口を自分で編み出す可能性がある——同法人はそのリスクを実験環境の中で検証した。AIが不正を「学習する」のではなく「発明する」かもしれない。それが監査法人の懸念だった。
こうした問題への対策として、研究チームはAIの行動を継続的に監視・管理するルールの仕組み——「アルゴリズム・ガバナンス(Algorithmic Governance)」の必要性を提唱している。AIが経営判断の主体になるなら、その判断が適正かどうかを別の仕組みが常時チェックする必要があるという考え方だ。
問題はその監視自体の難しさにある。AIが増えれば、AIとAIが直接取引を行う場面も増える。そこで起きうるのが、複数のAIが示し合わせてお互いの帳簿を水増しし合うような不正だ。人間の監査担当者がこうした動きをリアルタイムで把握するには限界がある。研究チームが計画するのは、そのために特化した「監査専用AI(Audit Agent)」の開発だ。AIを管理するために、またAIが必要になる。
この研究の成果は、機械学習の国際会議「ICML 2026」のワークショップ「Failure Modes in Agentic AI」で発表される予定だ。AIが自律的に経済活動を行う時代のルール作りは、まだ始まったばかりだ。
