日本の営業現場でAIを毎日使っている人は、100人中4.5人しかいない——世界平均の72%に対して、際立って低い数字だ。一方、導入を検討している会社は88%にのぼる。「使えていない」と「使いたい」の間に、巨大な溝がある。その溝を埋めようとする動きが、2026年6月、一つの資本提携という形で動き出した。
ディップ、ジーニー株6.78%を取得
2026年6月5日、人材サービス大手のディップはマーケティングAI企業ジーニーの株を新たに取得したと発表した。議決権ベースで6.78%——ジーニーの主要株主となった。
株の取得だけではない。ディップはジーニーの取締役候補として藤原彰二氏を推薦し、6月30日の株主総会に付議する予定だ。LINE・出前館で事業開発を手がけてきた藤原氏をジーニーの経営に送り込むことで、この提携は「株を持っているだけ」の関係から、経営レベルで関与する関係へと変わる。
両社の関係は今回が初めてではない。2024年にディップがジーニーに5%出資したことで提携がスタートし、2年かけて段階的に深めてきた。今回はその出資比率を6.78%に引き上げ、役員派遣も加えることで、本格的な共同事業へと踏み込んだ。
「バイトル」などアルバイト求人サービスで知られる人材企業が、なぜAI企業に資金を投じてまで組もうとするのか。その問いへの答えは、両社がそれぞれ抱えている「天井」にある。
互いが持っていないもの
ジーニーの天井
ジーニーは、営業担当者が顧客とのやりとりや商談の進捗を記録・管理するためのソフト(SFA)を中心に、AI関連のビジネスツールを開発してきた会社だ。子会社のJAPAN AI社が手がける「JAPAN AI CALL」は、展示会でのアポイント後に自動で架電し、キャンセルや日程変更を事前に検知する。3カ月間で105件の架電を実施し、6件のキャンセルを事前に把握——当日に商談相手が来ないという無駄を未然に防ぎ、担当者の待機時間を約3時間削減した実績がある。
ただし、こうしたツールを「作れる」ことと「届けられる」ことは別の話だ。ジーニーはインターネット広告やマーケティングツールで成長してきた会社であり、全国の中小企業に直接営業をかける体制を持っていない。良いツールがあっても、地方の中小企業の現場に届けるための足がない。
ディップの天井
ディップは求人サイト「バイトル」を通じて15万社の中小企業とつながっており、1,000人規模の営業組織が全国を回っている。その営業力をAI分野に向けようとした動きが「dip AI Force」だ。まず自社の営業組織にAIを導入し、効果を確認してから顧客に売る——「人材を届けてきた会社」が「AIを届ける会社」に転換しようとする順序だ。
ただし、自社で開発できるAI技術には限界がある。15万社の顧客が抱える多様な業種・業務に対応するには、より深い技術基盤が必要だった。「届ける力」は持っていても、「届けるべきもの」が追いつかない。
ジーニーはAIを作れるが届けられない。ディップは届けられるがAIが足りない。どちらかが一方を吸収したわけでも、下請けに使ったわけでもない——それぞれの限界を、そのまま相手の強みで埋める形だ。資本まで入れて踏み込んだのは、その構造が単純だったからこそだ。では、この組み合わせから具体的に何が生まれようとしているのか。
具体的に何を作るのか
提携から生まれる施策は、大きく三つだ。人材派遣の発想でAIを中小企業に送り込むこと、ジーニーのAIツールをディップの営業網で全国に広げること、そしてディップが自社で実践してきたAI活用を製品として外販すること。
AI・DX人材派遣
三つのうち発想の転換が最も大きいのが「AI・DX人材派遣」だ。人間の派遣社員の代わりに、「デジタルの働き手」としてAIを中小企業に届けるビジネスモデルを、両社が共同で展開する。
ディップはこれまで「人手が足りない企業に人材を送り込む」ビジネスを手がけてきた。「どの現場に何が必要か、どう届けるか」というノウハウを、人間からAIに置き換えた発想だ。自社を「Labor force solution company(労働力を提供する会社)」と位置づけるディップにとって、AIは人材と並んで届けるべき「労働力」の一種になる。人材会社だからこそ出てくるビジネスモデルといえる。
外食・小売向けには、採用と販促を一元管理する「OMO集客支援ツール」の共同開発も盛り込まれている。
次世代SFAの展開
もう一方の柱が、ジーニーのAIツールを営業現場に届けることだ。
JAPAN AI社が開発する「JAPAN AI AGENT」は、JAPAN AI CALLとは別の用途に特化したツールだ。架電ではなく、商談そのものを支援する。営業担当者が顧客と話した際の会話を自動で記録・整理し、重要な情報をSFAに自動で書き込む。さらに「次に何をするべきか」をAIが提案する仕組みだ。商談後にメモをまとめたり、システムに手入力したりする作業から担当者が解放される。
dip AI Force 外販
ディップが自社の営業組織で実践してきたAI活用を、製品として外に売り出すのが「dip AI Force」だ。営業メールの文案作成、顧客への架電シナリオの自動生成——自社の1,000人規模の営業部隊で使い、効果を確認した上で売る。「うちの営業がこれで動いている」という説明は、技術の仕様書よりも、AI導入を検討している中小企業の担当者に届きやすい。
AI×営業が変える中小企業市場
冒頭で示した4.5%と88%の溝は、ツールの問題でも技術力の問題でもない。届けるルートの問題だ。
中小企業でDXに取り組んでいる企業は2024年末時点でまだ18.5%に過ぎないが、実際に取り組んだ企業の81.6%が「成果が出ている」と回答している。AIが届けば結果は出る。届いていないだけだ。
この提携が試しているのは、「AIを作る会社」と「顧客に届ける会社」が組む新しい流通の形だ。AI専業の企業は全国の中小企業へのルートを持っていない。業種特化の営業会社は自前のAI技術が追いつかない——そのすれ違いは、ジーニーとディップだけの話ではない。同じ構図を抱えるAI企業と既存の顧客網を持つ会社が、今後も似た形で組む動きは出てくるだろう。
両社が最初に顧客の前に立つ場は決まっている。6月24日、「第24回 営業DX EXPO」(東京ビッグサイト)での初の共同出展だ。
ただ、求人サイトの営業部隊がAIツールの販売チャネルとして本当に機能するかどうかは、まだ誰にも分からない。「人材を届けてきた会社」が「AIを届ける会社」に転換できるかどうか——その答えは、6月24日以降の現場から出てくる。
