企業が新しいソフトウェアを社員に配っても、実際に使われ続けることはまれだ。システム部門が導入を決め、研修を実施し、それでも数カ月後には誰も開かなくなっている——そういった話は珍しくない。ペプシコで起きたことは、その常識の外にある。
PepsiCo 32万人が「毎日使う」ツールになった
マイクロソフトが2026年2〜5月にかけて公表したデータによれば、ペプシコは200カ国以上で働く全従業員32万人にAIアシスタントツール「Microsoft 365 Copilot」を展開した。その日次アクティブ利用率——毎日実際に使っている従業員の割合——は90〜95%に達している。
企業規模での話だ。32万という数は、日本の中規模都市ひとつ分の人口に相当する。その9割以上が毎日同じツールを開いているという事実は、良いツールを買って配った結果では説明しづらい。「良いものを入れれば使われる」という話であれば、「入れたけど誰も使わない」という問題はそもそも企業に存在しないはずだからだ。ペプシコは何か別のことをやっている。
なぜその数字が出せたのか
マイクロソフトが2026年3月に発表した大企業向けAI変革支援の枠組みは、AIツールを配布して終わりではなく、業務の流れそのものを設計し直すことを支援する。対象は従業員数万人規模の大企業で、変革計画の策定から実装後の定着まで継続的に関与する形をとる。ペプシコの95%という数字は、この枠組みの中で生まれた。
AIが稼働しやすい土台を先に整えた
ペプシコがまずやったのは、ツールの追加ではなく、ツールの整理だった。
社内でバラバラに使われていたメッセージや会議のアプリを、マイクロソフトのコミュニケーションツール「Microsoft Teams(チームズ)」に一本化した。この判断には理由がある。AIは情報が一か所にまとまっている環境でしか正確に動けない。メールはA社のシステム、会議はB社のツール、ファイルはC社のクラウド——という状態では、AIがどこを参照すればいいかを判断できず、精度が落ちる。情報の散らばりを先に解消したことが、その後のAI活用の前提になった。
物理的な環境にも手を入れた。社内に3,300室あった会議室を、Teamsと連携する専用設備「Teams Rooms(チームズ・ルームズ)」に刷新した。オフィスにいる社員とリモートで働く社員が、同じようにAIを使える状態を物理的に作った。ソフトウェアを入れるだけでなく、部屋の設備まで変えたことに、ペプシコの本気度が表れている。
エージェント化が「毎日使う理由」を生む
土台を整えた後に起きたのが、AIの使われ方の変化だ。
Copilotは当初、質問に答えたり文書を要約したりする用途で使われていた。それ自体は便利だが、「毎日必ず開く理由」にはなりにくい。変化をもたらしたのが「AIエージェント」の広がりだ。エージェントとは、人間が逐一指示しなくても、決まった業務を自律的に処理し続けるAIの仕組みのことをいう。たとえば、毎朝の報告書を自動でまとめる、特定の条件が揃ったら担当者に通知する——そういった役割をAIが担い始めると、ツールは「使うもの」から「動いているもの」に変わる。毎日確認しなければならない存在になる。
マイクロソフトが2026年5月に公表した働き方に関する調査によれば、プラットフォーム全体でのAIエージェントの数は前年比15倍に増加している。大企業に限れば18倍だ。ペプシコはこの流れの中に位置している。
ペプシコに限らず、大規模展開に成功した企業に共通するのは順番だ。ツールを配る前に、ツールが機能する条件を整えた。経営コンサルティング大手のアクセンチュアも同じ発想で74万人超の従業員展開を進めており、「人間中心」の変革設計を軸に置く。ツールの性能より、使われる文脈を先に設計する——そこに定着率の差が生まれている。
それでも45%は現状維持を優先している
同じ調査には、ペプシコの成功事例と並んで、不都合な数字が載っている。
AIツールをすでに使っている従業員のうち、45%が「AIで仕事のやり方を見直すより、今の目標をこなすほうが安全だ」と感じている。道具はある、使ってもいる——それでも変わらない、という状態だ。
なぜそうなるのか。理由を示す数字がある。AIを活用する取り組みが評価や給与に反映されていると感じている従業員は、わずか13%だ。頑張ってAIを使い込んでも、査定に出ない、昇給につながらない——そう感じる限り、余計なリスクを取って仕事のやり方を変える動機は生まれない。変わらないことを選ぶのは合理的だ。
一方で、深く使いこなしている層の話は別になる。AIを日常業務で最大限に活用していると自ら回答した従業員の80%が、「1年前には不可能だった仕事ができている」と答えている。同じツールを持ちながら、使い込んだ人とそうでない人の間で、できる仕事の範囲に差が開き始めている。
45%が現状維持を優先し、13%しか評価が伴わないという現実は、ペプシコのような事例がなぜ異例なのかを裏側から説明している。評価制度が変わらない限り、道具の性能が上がっても多くの社員は動かない。組織基盤を先に作り替えたペプシコも、評価への反映という壁をどう超えるかは、まだ明らかになっていない。
