グラフィックカードで知られるNVIDIAが、パソコンの頭脳そのものを作った。2026年6月、台北で開かれたNVIDIA主催の技術カンファレンス「GTC Taipei 2026」で、ジェンスン・ファンCEOが披露した「RTX Spark」は、CPU(パソコンの演算処理を担う中枢部品)からメモリまでを1枚のチップに統合した、NVIDIAにとって13年ぶりのPC向けチップだ。主要PCメーカーが2026年秋に搭載製品を一斉に投入する予定で、これは一社の実験的な製品ではなく、業界全体が舵を切ったことを意味する。ただし価格は現時点で公表されていない。
NVIDIAがApple超えチップ発表
AppleのMチップは、薄型ノートPCの性能基準として現在最も広く知られた存在だ。その最新世代「M5」と比べて、RTX SparkはNVIDIAが公表したAI処理の性能テスト(ベンチマーク)で43,149点を記録した——M5の約28,000点を54%上回る数値だ。NVIDIAはもともとゲーム用のグラフィック処理を専門とする会社だが、RTX SparkはAppleが長年磨いてきた「チップ丸ごと自社設計」という土俵に真正面から踏み込んだ形になる。
この薄型化を実現したのが台湾の半導体大手MediaTekで、スマートフォン向けチップで培った省電力設計のノウハウが14ミリという厚みを可能にした。
AI処理性能は、コンシューマー向けデバイスとして世界で初めて「1ペタフロップス」の大台に到達した。ペタフロップスという単位はなじみがないかもしれないが、これまで大型サーバールームに置かれた専用機器でしか実現できなかった計算規模が、手のひらサイズのチップで動くようになったと理解すれば十分だ。最大128GBのメモリを搭載でき、ChatGPTと同規模とされる1,200億パラメータのAIを、インターネットに接続せずノートPC単体で動かすことができる。パラメータとはAIが積み上げた知識の量を示す指標で、数が大きいほど高度な処理が可能になる。
AIがクラウド依存から抜け出す
性能の数値はわかった。では、その性能で何が変わるのか。
クラウドAIが使えない業務とは
病院のカルテ、法律事務所の契約書、会社の人事情報——こうしたデータを扱う職場では、どんなに便利でもAIツールを使えない状況が続いてきた。ChatGPTのような現在主流のAIは、入力した内容をインターネット経由でサービス会社のサーバーへ送り、そこで処理して返す仕組みだ。患者の病歴や未公開の契約内容を、その回線に乗せることは情報漏洩のリスクと直結する。
RTX Sparkが変えるのは、この構造だ。1,200億パラメータ規模のAIをノートPC単体で動かせるということは、データがパソコンの外に出ない。医療機関が患者データをAIで分析しても、情報はどこのサーバーにも渡らない。法律事務所がAIで契約書を精査しても、内容が漏れる経路がない。「AIは使いたいが、情報は渡したくない」という矛盾が、解消されることになる。
自律エージェントのデモ公開
Microsoftはすでにこれを製品として組み込んだ。15インチの新型ノートPC「Surface Laptop Ultra」にRTX Sparkを搭載し、インターネット接続なしでAIエージェントを動かすデモを公開している。
AIエージェントとは、指示を出すと自分で判断しながら複数の作業を連続してこなすAIのことだ——「この議事録から重要事項を抜き出して、関係者にメールを送っておいて」という依頼を、人間が一つひとつ操作しなくても自律的に完了する。現在のAIアシスタントの多くはクラウドで動くため、こうした処理も外部サーバーを経由している。
MicrosoftのデモはそれをPC内で完結させた。「NVIDIA OpenShell」と呼ばれる機能とWindows 11の深いレベルでの最適化を組み合わせ、AIがインターネットなしで自律的に動く環境を実現している。「クラウドなしのAI」は、もうコンセプトの話ではない。
秋から各社が搭載製品を投入、3世代計画も
では、いつ手に入るのか。
RTX Spark搭載製品は2026年秋、ASUS・Dell・HP・Lenovo・Microsoft Surface・MSIの6社から一斉に市場に出る。1社が先行して実験的に投入するのではなく、主要PCメーカーが横並びで動くというのは、業界全体として「この方向しかない」という判断が下りたことを意味する。
なかでもASUSの動きが、このチップの可能性を具体的に示す。クリエイター向けノートPC「ProArt P16」と「ProArt P14」にRTX Sparkを搭載し、128GBのメモリを活かして90GBを超える3Dデータの処理や、12K解像度の動画編集が可能になるとしている。これはこれまで数百万円の据え置き型ワークステーションがなければ不可能だった作業水準だ。CGデザイナーや映像クリエイターが「持ち歩けるレベル」に、重い処理が降りてくることになる。
ゲームについては、AIを使って画質を補完する技術「DLSS 4.5」と組み合わせることで、薄型ノートPCで最新タイトルを1440p・100フレーム以上で動かせる性能に到達する。1440pは4K(超高精細)に次ぐ解像度で、フレームは映像の滑らかさを示す単位——数字が大きいほど動きがなめらかに見える。家庭用ゲーム機より滑らかな映像が手元のノートPCで出せる計算だ。
ソフトウェア側も動き始めている。AdobeはPhotoshopとPremiere Proを、RTX Spark向けにゼロから作り直していると発表した。従来のチップと比べてAI処理とグラフィックス性能が2倍になるという。写真の加工も、動画の編集も、AIが手元で完結する環境が整いつつある。
NVIDIAはこれを一度きりの参入とは位置づけていない。2027〜28年に第2世代「Rubin」、2029〜30年に第3世代「Feynman」を投入すると公表しており、毎年性能を引き上げる長期路線であることを明示した。PCのCPUがインテルやAMDの製品を世代交代してきたように、RTX Sparkも同じサイクルに入る。
市場調査会社のTrendForceは、RTX Sparkの登場を機にAI機能搭載ノートPCの普及率が2026年の37.5%から2029年には84.9%まで拡大すると予測する。3年で85%近くに達するというのは、スマートフォンが一気に普及したときに匹敵する速度感だ。
一方、買う側にとって確認できていない情報も残る。価格は各社とも現時点では未公表で、高性能チップと最大128GBの大容量メモリを組み合わせる製品だけに、価格帯は購入判断の核心になる。バッテリーの持ちも同様だ——AppleのMシリーズが長く支持を集めてきた理由の一つは薄型・軽量とバッテリー持ちの両立にあるが、RTX Sparkの実際の駆動時間は実機が出るまで判断できない。また、メモリはチップに直付けされる設計のため購入後の増設はできない。最初にどれだけのメモリを選ぶかが、これまで以上に重要な判断になる。価格を含む具体的な情報は、秋の発売が近づくにつれて各社から開示される見通しだ。
