MicrosoftはWindowsやExcelを世界に普及させたアメリカのIT企業だ。そのMicrosoftが、長年お金を払い続けてきたAI企業への依存を断ち切ると宣言した。舞台は2026年5月に開かれた年次発表会「Build 2026」——自社開発のAIシリーズを一斉に公開した。
Build 2026で何が起きたか
自社AIシリーズを一斉公開
今回公開されたAIのまとまりを「MAIファミリー」と呼ぶ。「MAI(マイ)」は「Microsoft AI」の略称だ。
その中心となるのが「MAI-Thinking-1(マイ・シンキング・ワン)」。文章を読み解き、複雑な問題を順序立てて考える——業界ではこれを「推論」と呼ぶ——ことに特化した、いわば「頭脳役」のモデルだ。Microsoftが外部のAI企業に頼らず、自社だけで完成させた初のモデルである。
著作権上の問題がないと確認されたデータのみを用いて学習させており、企業が安心して導入しやすい設計になっている。性能面では、AIの推論能力を測る数学の試験「AIME 2025」で97.0%の正答率を記録している。この試験は全米の数学コンテストで上位層を対象とした難問で構成されており、競合する主要なAIモデルと比べてもトップ水準の成績にある。
MAIファミリーにはほかに、プログラム作成を支援するモデルが含まれ、エンジニア向けの開発補助ツール「GitHub Copilot」にすでに搭載されている。画像生成や音声生成に特化したモデルも同時に発表された。
外部2社への依存と費用
この発表が「ただの新製品発表」ではない背景に、Microsoftと2つのAI企業との関係がある。
ひとつ目はOpenAI(オープンAI)。「ChatGPT(チャットGPT)」を開発したアメリカの会社で、Microsoftは早くからこの企業に巨額の資金を投じてきた。それだけでなく、Microsoftが提供するサービスにはOpenAIのAIが組み込まれており、使った分だけOpenAIに料金を支払う構造が続いていた。
ふたつ目が、タイトルにも名前が出るAnthropicだ。「Claude(クロード)」というAIを作るアメリカの会社で、OpenAIと並ぶ先端AI企業として知られる。MicrosoftはAnthropicのAIも一部のサービスに取り込み、その利用料を支払ってきた。「Anthropicへの支払いをなくす」というのは、こうした外部AI利用料をゼロにするという意味だ。
この構造に変化の兆しが現れたのは2026年4月27日のことだ。MicrosoftはOpenAIとの契約内容を見直した。その6週間後に行われたBuild 2026での自社AI発表は、その延長線上にある——自前で作れれば、外部への支払いはなくなる。
Anthropicを競合に名指しした理由
転換点は4月27日の提携見直し
MicrosoftとOpenAIの間には、ある特別な取り決めがあった。一言で言えば「Microsoftが独占販売する代わりに、売上の一部をOpenAIに渡す」という構造だ。
OpenAIのAIは、MicrosoftのクラウドサービスであるAzure(アジュール)を通じてのみ販売できた。競合するAmazonやGoogleのクラウドには出せない。その代わり、MicrosoftはAzureでの売上の一部をOpenAIに還元し続けてきた。
4月27日の契約改定で、この独占が解消された。OpenAIはAmazonやGoogleのクラウドでもAIを自由に販売できるようになった。Microsoftが持っていた優位が消えた分、売上の還元も不要になった。なお、Microsoftが代わりに何を得たか——株式や技術ライセンスの条件——については双方から詳細が公表されていない。
独占販売という「関係を維持する動機」が消えれば、Microsoftが外部のAIに頼り続けるメリットは薄れる。自前で作る選択が、経営上の合理性を持ち始めた瞬間だ。
「Anthropicより安く作れる」が決め手
Build 2026の基調講演でMicrosoft AIのCEOを務めるムスタファ・シュレイマン氏が語った言葉が際立つ。「AIを動かした時間で稼ぐのではなく、AIが解決した課題で稼ぐ」。外部AIの使用量に応じて料金を払い続けるモデルを否定し、成果に対して課金するモデルへの転換を宣言した。
その根拠として挙げたのが、AnthropicのClaudeとのコスト差だ。Microsoftは、同等の性能を持つMAI-Thinking-1の利用コストがAnthropicのモデルより大幅に低いと主張している。具体的な数値は公表されておらず、独立した検証も現時点では確認できていない。ただ、コスト差が実際に成立するなら、「外部に払い続けるより自社で作る方が安い」という結論が経営判断に直結する。
タイトルにある「Anthropicへの支払いをなくす」という発言はこの文脈から来ている。かつて技術を借りていた会社を、今度はコスト面で上回ると宣言した。パートナーが競合に切り替わる——そういう構図だ。
MicrosoftとOpenAIの提携関係は今後も続く。ただし、その内実は変わった。かつてのような独占販売と収益分配で結ばれた関係ではなく、お互いが別のクラウドにも売れる競合でもある。「パートナー」と「競合」が同時に成立する——そういう関係が生まれた。
企業のAI調達で何が変わるか
Microsoftの経営判断は、AIを調達する企業全般の選択にも波及しつつある。
著作権を気にする企業が選ぶ理由
MAI-Thinking-1を選ぶ理由のひとつに、著作権上問題のないデータで学習されているという点がある。
AI学習データをめぐる訴訟が、海外ではすでに起きている。生成AIが学習に使ったデータに他社の著作物が含まれていたとして、コンテンツ企業や個人クリエイターが訴えに出るケースだ。金融・法律・医療といった、コンプライアンスに敏感な業種の企業にとって、「学習データがクリーンか」は導入判断の軸になりえる。「著作権的にクリーン」と明言するMAI-Thinking-1は、こうした企業が選ぶ根拠になる。
さらにMicrosoftは「Frontier Tuning(フロンティア・チューニング)」という仕組みも提供する。企業が自社で持つデータを使ってモデルを調整し、業務に特化したAIに育てる選択肢だ。外部のAIをそのまま使うだけでなく、自社仕様に仕立てる方向が開かれた。
選択肢が増えれば、価格は下がる
これまで企業がAIを選ぶ場面は、ほぼ2択だった。OpenAIのChatGPT系か、AnthropicのClaude系か——その2方向で動いてきた市場に、Microsoftの自前モデルが加わった。
競合が増えれば価格競争が起きやすくなる。すでにAI業界では各社がコストを引き下げてきた経緯があり、Microsoftの参入はその流れを加速させる可能性がある。AIの利用コストが下がれば、企業だけでなく個人でも使えるサービスの選択肢が広がる。
企業の側には、用途に応じて複数のAIを使い分けるという選択が現実になってきた。複雑な問題を段階的に考える「推論」が必要な場面には推論特化型のモデルを、日常的な処理にはより安価なものを——コストと法的リスクを軸に組み合わせを判断する時代だ。Microsoftが「外部への支払いをなくす」と宣言した動きは、AIの売り手だけでなく、買う側の計算式も変える。
