スマートフォンに向かって約1分間話すだけで、認知機能の変化を検知する——そんなAIアプリが、医療機器としての承認を目指す最終段階に入った。日本には認知症リスクを抱える人が推計1000万人いるとされるが、年間の検査数は100万回以下にとどまる。その空白を埋める技術が、国のお墨付きを得ようとしている。
治験がスタート、2026年度内の医療機器承認を目指す
2026年5月18日、AI医療スタートアップのExaMD(エクサウィザーズグループ)は、音声AIを使った認知機能診断アプリの治験で第1症例目の被験者登録が完了したと発表した。治験の世界では「FPI」と呼ばれる節目で、医療機器として正式な承認を得るための審査プロセスが動き出したことを意味する。目標症例数や参加施設数は今回の発表では公表されていないが、2026年度内——つまり2027年3月まで——の製造販売承認取得を目指すスケジュールに変わりはない。
このアプリはすでに2025年2月、厚生労働省から「優先審査対象品目」に指定されている。優先審査とは、既存の手段より明らかに有効性が見込まれる医薬品や医療機器に対し、通常より速いペースで審査を進める制度だ。国が「早く世に出すべき」と判断した証でもある。
承認されれば、専用の検査機器も専門医への予約も必要とせず、スマホ1台で認知機能の診断支援が受けられる医療機器が国内で初めて登場する。こうした検査が届かなかった人たちに、ようやくその入り口ができる。
1分の音声が認知機能を映す——治験が証明しようとしていること
治験が証明しようとしているのは、シンプルな問いへの答えだ。「たった1分の会話で、本当に認知機能の変化を捉えられるのか」——その問いに、これまでの臨床研究のデータはすでに「イエス」に近い答えを出している。
専用機器なし、来院1回で完結する治験プロトコル
検査の手順は驚くほどシンプルだ。「何でもいいので話してください」——この一言だけが最初の指示になる。その後の約1分間、被験者は自由に話す。特別な課題も記憶テストもない。
AIが分析するのは、人間の耳には聞き取れない領域の情報だ。声の細かな揺らぎ、言葉と言葉の間の「間(ま)」の長さ、発話リズムのパターン——こうした音声に刻まれた痕跡を、AIは「バイオマーカー(体の状態を示す生体指標)」として読み取る。認知機能が低下すると話し方に変化が現れる。その変化を、AIは大量のデータから統計的なパターンとして学習してきた。
治験のプロトコルも、その手軽さを前提に設計されている。来院は1回で完結し、専用の検査機器は不要。スマートフォンがあれば実施できる。従来の認知機能検査は、専門医のいるクリニックに予約を取り、10〜20分かけて複数の課題をこなすものだった。その検査が届いていなかった人たちに、この手軽さは直接響く。
医療機器として承認された後も、このアプリは「確定診断」をするものではない。医師の診断を助けるツール、という位置づけだ。家庭で血圧を測って「ちょっと高めだな、病院に行ってみよう」と判断するのに近い。測定結果が「要注意」を示しても、それは「詳しく調べてほしい」というサインであり、診断そのものではない。それでも、その入り口が今まで存在しなかった人が大勢いた。
なぜ信用できるのか——精度をめぐる数字の読み方
ExaMDが治験前に積み重ねてきた自社の臨床研究では、約95%の判定精度が報告されている。ただし、この数字の出どころと意味はきちんと押さえておく必要がある。
検査精度を語るとき、研究では「AUC(エー・ユー・シー)」と呼ばれる指標がよく使われる。ある検査が「気になる人」と「問題ない人」をどれだけ正確に区別できるかを0から1の数値で示すもので、1に近いほど精度が高い。ExaMDによれば、社内の臨床研究でこの数値が高い結果を複数回確認している。ただし、外部の専門家による独立した検証は、今回の治験が完了して初めて明らかになる。
独立した研究機関でも、音声AIの有効性を示すデータは出ている。国立循環器病研究センターが実施した研究では、既存の認知機能評価に音声データを加えることでMCI(認知症の一歩手前の状態)の検知精度が向上することが確認された。音声が認知機能を映す「窓」になりうるという根拠は、一社のデータにとどまらず積み上がってきている。
95%という数字は、同時に「100人に5人程度は見落とすか、誤って要注意と判定する」ことも意味する。だからこそ、確定診断ではなく「ふるい分け」の役割が重要になる。大勢の中から可能性のある人を先に見つけ出し、専門医への受診につなげる——そのスクリーニングとしての使い方であれば、この精度は十分に機能する。専門医の診察が「ゴール」ではなく「スタート」になる設計だ。
医療承認と並行して市場へ、競争も始まった
ExaMDが治験を進める一方、この会社はすでに「承認を待たない」選択をしている。医療機器としての審査が続く中、2026年4月には法人・自治体向けの非医療版サービス「CogniTalk(コグニトーク)」の提供を始めた。
4月に非医療版「CogniTalk」始動、金融・保険・モビリティへ
CogniTalkは、30秒ほどの会話から認知機能を10段階で判定するサービスだ。医療機器ではないため「診断」はできないが、企業や自治体が従業員や顧客の認知機能を把握するためのツールとして使える。企業が自社のシステムに取り込んで使えるよう、複数の提供形式に対応している。
注目すべきは、最初に動いたのが医療の外側だったことだ。金融機関——銀行や証券会社——からは引き合いが来ており、認知症の顧客への対応策としての活用が想定されている。口座解約や高額な投資判断の場面で顧客の認知状態を把握できれば、不正や誤解を防ぐ手がかりになる。保険やモビリティ(自動車関連)分野への展開も予定されており、医療の外からこの技術の需要が先に動き出している。
同じ年度内に、複数のプレイヤーが走っている
ExaMDだけではない。リーガルテック企業のFRONTEOは塩野義製薬と、DeNAグループの日本テクトシステムズは「ONSEI Pro(オンセイプロ)」でそれぞれ音声AIによる認知機能診断を手がけ、どちらも2026年度内の承認を目指している。アプローチは微妙に異なるが、音声から認知機能を読み取るという核心は同じだ。
複数の企業が同じタイミングで動き出しているという事実は、この技術が「実験段階」を越えたことを静かに示している。承認の時期が近づけば、かかりつけ医を通じて、あるいは自治体の健診の場でこの検査が選択肢に並ぶ日がくる。スマホに向かって1分話すだけで、親の異変に気づけるかもしれない——その問いへの答えは、この治験が出す。
