会社がAIにかける予算は過去最高を更新した。なのに、社員が「システムが使いにくくて仕事が進まない」という理由で失う時間は、3年間で最悪になった。投資が増えるほど損失も増える——そんな逆説を数値で示した調査が2026年に公開された。
AI投資最高でも損失は3年で最悪
デジタル化支援ツールを手がけるWalkMeが、米・英・独・日など主要国の経営層と従業員3,750人を対象にまとめた「デジタルアダプションの状況2026」の数字だ。「デジタルアダプション」とは、導入した業務システムやAIツールを社員が実際に使いこなせる状態にするための取り組みを指す——ツールを購入して終わりではなく、現場で本当に動かせるようにするまでのプロセスだ。調査の設計と分析には調査会社のFuturum Groupが参加している。なお、調査対象には日本も含まれるが、本稿で示す数値はグローバル平均の値だ。
企業のAI投資額は前年比38%増で、IT予算の35%がAI関連に向かっている。調査対象の大企業では1社あたりの平均が年間5,420万ドル(約84億円)に達し、過去最高を更新した。
だが同じ年、現場では逆のことが起きていた。社員がシステムの使いにくさで無駄にする時間は、前年の36日から51日へと42%悪化した。3年間で最悪の水準だ。
51日という数字は、年間の就業日数のおよそ5分の1にあたる。WalkMeの試算では、こうした非効率による損失は大企業1社あたり年間約142億円に上る。操作のつまずきによる時間ロス(72億円)、導入したのに使われない技術の維持費(50億円)、期待した成果を出せなかったプロジェクトの損失(20億円)——これらが積み重なった数字だ。企業のデジタル投資のうち約4割が、期待通りの成果を出せていない。
なぜ投資を増やすほど損失も増えるのか。その原因は、ツールの性能にあるのではなかった。
経営層と現場、2つの断絶
報告書が「問題の核心」として示したのは、ツールそのものの欠陥ではなく、経営層と現場の間に横たわる認識の断絶だ。その断絶の深さは、一つの数字が端的に物語っている。
経営層が自社で稼働していると認識しているアプリの数は、平均35個。実態は661個だ。約19倍——1,789%の乖離がある。管理職が「把握している」と思っている現場の実態と、社員が日々触れているテクノロジーの世界は、そもそも別物だった。
| 経営層 | 現場 | |
|---|---|---|
| 認識アプリ数 | 35個 | 661個 |
| ツール充足 | 88% | 21% |
| AIへの信頼 | 61% | 9% |
| 研修が十分 | 91% | 7.5% |
67ポイント、52ポイント——数字が描く断絶の深さ
「社員に十分なツールを与えている」と確信している経営層は88%にのぼる。では、社員の側で同じように感じているのは何割か。21%だ。同じ会社に属しながら、67ポイントの差がある。経営層が「渡した」と思っているツールを、現場は「使えるもの」として受け取っていない。
AIをめぐる断絶はさらに大きい。「重要な業務判断にAIを信頼できる」と答えた経営層は61%。社員はわずか9%だった。52ポイントの差がある。経営層がAIを前提に戦略を組み立てている一方で、現場の9割はそのAIを信頼していない。同じ会社の、同じシステムの話だ。
研修も同じ構図をたどる。経営層の91%が「十分に提供している」と答えているのに対し、実際にしっかりしたAI研修を受けたと答えた社員は7.5%しかいなかった。
経営層の問題は、意欲の欠如でも予算の不足でもない。現場で何が起きているかが、そもそも見えていない——報告書はその構造を、データで浮かび上がらせている。
80%以上が回避——なぜ現場はAIを使わないのか
その「見えていない現実」の中身が、これだ。
過去30日間にAIツールを避けて手作業を選んだ社員は54%。AIを一切使っていない社員は33%。合わせると87%近くが、会社の用意したAIツールを実質的に使っていない計算になる。
理由は「AIが嫌いだから」ではない。報告書が示したのは、仕組みの不備だ。使い方の案内がない(47%)、ツールが多すぎてどれを使えばいいかわからない(30%)、どの場面でAIを使うべきか示されていない(23%)——この三つが主な障壁として挙がった。
アプリの数が増えると状況はさらに悪化する。8個以上のアプリを日常的に使う環境では、AIをそもそも起動しない割合が54%に達する。ツールが多いほど迷子になり、AIに辿り着く前に諦める。
公式ツールが使いにくければ、社員はどうするか。自分で使いやすいものを探す。45%の社員が、会社の承認を得ていないAIツールを日常業務で使ったことがあると答えた。いわゆる「シャドーAI」——会社公認ではないAIツールを個人の判断で使う行為だ。業務上の機密情報が外部サービスに送信されるリスクや、情報セキュリティに関する法令・社内規定への抵触が生じる可能性がある。
調査に協力したFuturum Groupのキース・カークパトリック副社長は、この実態をこう読み解く。「シャドーAIは罰するべき行動ではない。承認済みツールが埋めきれていない、効率性のギャップを示す証拠だ」。現場がAIを拒絶しているのではなく、公式のルートが機能していないから別の道を探している——そういう構造だ。
前節で触れた「アプリ35個と661個」の乖離は、このシャドーAIの文脈でより具体的な意味を持つ。経営層が把握できていない空間の中で、社員は独自にツールを探し、使い、リスクを抱えながら働いている。
WalkMeのダン・アディカCEOはこう述べた。「問題はAIの能力にあるのではない。信頼、ガバナンス、ガードレールにある。AIが賢くなればなるほど、この課題はより難しくなる」。
投資の矛先を変えない限り、予算を積むほど現場との断絶は広がり、損失は増え続ける。
